判断を外に預けると何が起きるか|不安定になる構造の正体

観測

 

判断を外に預ける、という感覚について

「判断を外に預ける」というのは、
誰かに全部決めてもらう、という意味ではない。

数字を見る。
反応を見る。
空気を見る。
評価を見る。

それ自体は、悪いことじゃない。

ただ、
それを判断の根拠にしてしまうと、
少しずつズレ始める。

最初は、すごく楽

判断を外に預けると、
最初は楽になる。

考えなくていい。
迷わなくていい。
失敗しても、理由が外にある。

でもその瞬間から、
立っている場所が、
静かに崩れ始める。

まず起きるのは、スピードの低下

判断を外に預けると、

反応を待つ。
様子を見る。
タイミングを測る。

自分で止まっているのに、
だんだん
「状況が悪い気がする」
になっていく。

次に起きるのは、ブレ

昨日はAが正解だった。
今日はBが正解っぽい。
明日はCかもしれない。

基準が外にある限り、
一貫性は持ちにくい。

そのうち、
地味に疲れてくる。

正解を追い続ける疲れ。
評価を気にする消耗。
ズレることへの怖さ。

これは、
能力の問題じゃない。

構造の問題だと思う。

判断を外に置くと、人はプレイヤーになる

判断を外に預けると、
人は自然と「動く側」になる。

指示がないと動きづらい。
環境が悪いと止まりやすい。
自分で決める感覚が薄れる。

ここに長くいると、
どれだけ経験があっても、
消耗していく。

判断を内側に戻すと、どうなるか

逆に、
判断を内側に置いたままだと、

反応がなくても進める。
評価がなくても続けられる。
ズレても、戻れる。

これは、
メンタルが強いとか、
覚悟があるとか、
そういう話じゃない。

立ち位置の話。

たぶん、こういうこと

メディア側に立つ、というのは
当て続けることじゃない。

判断を、
自分の位置に戻すこと。

外が騒がしくても。
数字が動かなくても。
空気が変わっても。

観測は、置ける。

判断を外に預けた瞬間、
人は不安定になる。

判断を内側に戻した瞬間、
構造は安定する。

それだけの違い。

yurintea blog media は、
学ぶためのメディアではありません。

立ち止まるための場所です。

何かを変えなくても、
読んでいるうちに
見え方が変わることはあります。

そのくらいの距離で置いています。

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